1 〈影〉の少女


 奏楽隊がファンファーレを吹き鳴らす。
 カルセドニアに古くから伝わるラッパに似たファルという楽器が、高く、低く、独特な音色を吹き鳴らす。謁見の間の高い天井に響き渡る余韻の中、皇帝ヴォード=カルセドニアが長いマントを翻して現れると、その場に居た南方師団の兵士たちや宮廷魔導団の魔導師たちがいっせいにひれ伏した。その中には、ジャスティンの姿もあった。
 ヴォードは、齢57。すでに初老の域にある。しかし、ピンと伸びた背筋といい、堂々とした歩みといい、彼の姿には老いの影はほとんど見られない。それどころではない。ヴォードは、若いころから今に至るまで酒豪皇帝の異名をとるほどの人物だし、馬に乗れば騎馬隊すら青くなるほど上手に馬を操る。愛用している大剣を持てば、勝てるのは大隊長にして帝国最強の剣士と名高いオーエン=クロードだけであるともっぱらの噂であるし、戦の折には全軍の先頭に立って敵陣へと斬り込んでいく気概もある。豪放磊落を絵に描いたような彼の性格は、兵士をはじめ多くの者たちに慕われてもいる。文字通り、彼の頑強な肩がカルセドニア帝国と言う大国を担ぎあげ、支えているのだ。
 「皇太子殿下のお出ましー!」
 声に、ちらりと目線を上に向け、ジャスティンは新たに現れた人物に目をやった。レオン=カルセドニア皇太子。彼は、父親とは驚くほどに対照的な少年だった。
 線の細い体に、優しい面。彼が武術よりも草花を育てる方を好んでいることは多くの人が知るところであったし、虫を殺すことさえ嫌がる性格であることも、また多くの人に知られていた。公式の場でこそ威厳ある表情を保っているが、普段はわけ隔てなく優しい微笑みを見せる彼は、父親とはまた違う形で人々から人気があった。
 ジャスティンはいまだにレオンとヴォードが本当に親子なのかと思う事がある。それほどまでに、二人は対照的だった。しかし、親子の仲が不仲であると聞いた事は無かったし、実際、こうして二人が並ぶ所を目にすると、確かにどこか似ている部分があった。
 それを思うたびに、ジャスティンは“血”とは不思議なものだと、気が遠くなるような思いに駆られるのだ。

「此度の南の蛮族討伐、御苦労であった」
 大臣の声が響く。大臣は、南の蛮族と呼ばれる戦闘部族による所業を挙げ、それにより帝国がいかに被害を受けていたか――大臣と親しい貴族の被害ばかりが強調されていることにジャスティンは気付いたが――を延々と語った後、討伐へと赴いた騎士や魔導士たちへとねぎらいの言葉をかけた。
 ジャスティンは、その言葉を鬱々としながら聞いていた。本来なら、ジャスティンはこの場にいないはずだったのだ。皇帝に目通りを許されるということ自体が地位や権力を必要とすることであったから、名門出身とはいえ貴族ではない、さらに宮廷魔導団の中でも新米である自分が呼ばれることなどありえない……ジャスティンはそう思っていたし、それは当然のことだった。
 彼がこの場に呼ばれた理由はただ一つ。
「ジャスティン=ラグナー」
「はい」
 顔を伏せたまま、短く返事をする。
「今回の戦で蛮族を退けられたのは、ひとえにそなたの働きのゆえだそうだな。聞けば、側面から押し寄せた蛮族の大群を一人で退けたとか」
 おぉ、という感嘆の声が周囲から上がったのが耳に入ったが、ジャスティンは無視した。そう言われて舞い上がるような性格はしていないし、そもそも自分は大したことをしていない。側面から奇襲をかけてきた相手はさほどの数ではなかったし、それを撃退できたのも同じ場所に配属されていた兵士たちの援護があったからだ。

 にもかかわらず、このように言われるのは自分が“ラグナー家”の嫡男であるからだ。

「さすがは、かの夢幻戦争の英雄の血筋。これからも、その力を持って帝国のために戦ってくれ」
「……もったいないお言葉でございます」
 500年も昔、大陸を統一していた魔法王国が崩壊した時に起きた戦争。その戦争を終結に導いた“英雄”と呼ばれる勇者たちの一人。それが、ジャスティンのはるかな先祖だった。父親や親戚たちが鼻にかける“名門”も、これに依って立っているし、大臣や貴族たちが利用したいと思っている物もこれなのだと、ジャスティンは知っていた。
 ジャスティンの年で宮廷魔導団に身を置くというのは、それだけで異例と言ってよい。その理由は、宮廷魔導団に強いコネクションを持つ父が、自分の息子をプロパガンダに利用しないかと貴族たちに持ちかけたからだと、ジャスティンは思っていた。
 実際、それは真実の一部ではあった。しかし、名門の息子であっても愚鈍であれば用を為さない。ジャスティン自身は意識していなかったが、彼の能力の高さが、彼が今の立場にいる理由の大きな部分を占めていた。
 もっとも、それを彼が意識したところで、彼は喜ばなかっただろうが。

 *

「はははっ、それで、こんなに沢山買ってきてくれたんだ」
 レオンは笑いながら手を伸ばし、たった今掘り返したばかりの黒土の中へ新しいリシアンサスの苗を植えた。彼の前には、2トルメ(約2.2メートル)四方ぐらいに掘り返された土の地面があり、その半分ほどには、すでに何かの苗が植えられているか、種が蒔かれていた。それでも、まだレオンの手元には抱えきれないほどの草花の苗や種の袋が置かれている。
「せっかくもらった報奨金だろ? もっと他に買う物は無かったのかい?」
「……別に、金には困ってない」
 ぶすっとした顔つきで、ジャスティンは手元のシャベルを操った。掘り返され、放られた黒土の中から飛び出してきたミミズを掘った穴に戻しながら、ジャスティンは続けた。
「納得いかないぜ。任務でやってた事なのに、褒められるとかさ」
「でも、優秀な戦果をあげれば、褒められるのは普通じゃないかな?」
「褒められるだけのことをしてないから、納得いかないのさ」
 ジャスティンは立ち上がると、パンパンと手の土を払い落した。
「言われた通りのことをしただけで、しかも俺一人の力でもない。正直、他の兵士に援護してもらえなかったら、俺自身ヤバかったかもしれない」
 魔導士というのは、言うなれば重火砲だ。研ぎ澄ました一撃の威力はすさまじいが、反面隙が大きいという致命的な弱点もある。強力な魔法になればなるほど、要する時間も集中力もけた違いになっていくため、他の兵種――剣士や槍使い――に敵を抑えてもらう等の援護がかかせない。
 ジャスティンのその説明に、レオンはネリネの球根を丁寧に植えながら、うなずいた。
「そう言う事もあるよ」
 どこか真剣なその言葉に、ジャスティンは口を開きかけてやめた。
「一緒に戦った兵士の人たちには、何かあげたの?」
「大量に酒買って置いてきたよ。今夜は酒盛りだって騒いでたぜ」
 今度は、レオンは笑ってうなずいた。

「そういえば、ジャスティン。今度、宮廷魔導団にきた峰雪(みゆき)って人のことを知ってる?」
 ジャスティンは、片付けの手を止めてレオンを振り返った。結局、さらに横に2トルメ拡張した出来立ての花壇には、これでもかと言うほど花が植わっている。
「いや、聞いてない。何の話だ?」
 自分が蛮族討伐で出征していた時に来たのだろうか。その考えをレオンに投げると、レオンはうなずいた。
「そうだね、2週間ぐらい前だよ。急に決まった話らしくてさ、僕もまだ詳しい話は知らないんだけど」
「どうして、気になるんだ?」
 皇太子である彼が、宮廷魔導団の新人に気を回すというのは、あまり自然な話でない。だが、事情を聞けば納得のいく話であった。
「実は、その人が僕の〈影〉になるっていうんだ」
 〈影〉というのは、皇帝や皇太子に付く護衛のことだ。だが、普通の護衛ではない。普段は姿を見せなかったり、あるいは護衛だというそぶりを見せたりしないままに護衛する。表向きは近衛兵などが護衛を務め、その裏で目立たぬように皇族を守る役目を負っているのが〈影〉と呼ばれる人々だった。ジャスティンも、その存在は知っていたが、具体的に誰が〈影〉なのかと言った事は知らない。
「〈影〉になると、四六時中一緒にいることも珍しくないからね。さすがに、どんな人か知っておきたくて」
「それで、嫌な奴だったらどうするんだ?」
 レオンはため息をついた。
「どうもできないよ。〈影〉になれる人は多くないから、簡単に変わってもらうのは無理だ」
「じゃあ、知っても知らなくても同じじゃないか」
 自分だったら確実に息が詰まるな、と思ったが、それは言わなかった。彼の立場を思い、ジャスティンは言った。
「まぁ、でも何も知らないよりは良いよな。後で調べておいてやるよ。……美人だと良いな」
 峰雪という名前からして女性だろう。ジャスティンはやり手の中年女性を想像して、やっぱり自分なら息が詰まるな、と思った。宮廷魔導団にいる中年の女性には、彼はあまり、良い思い出がない。
 その瞬間だった。
「誰だ!」
 意識のすみに人の気配を感じ、ジャスティンは振り返った。振り返った時には、傍らに立てかけてあった杖を掴んで、気配のした方向へ突きつけている。神速と言っても良いその動きにレオンは一瞬、目を見張ったが、すぐに振り向くとジャスティンが杖を突きつけた方向へ身構えた。
「そこの茂みにいる奴、出てこい」
 声を飛ばし、油断無く杖を構え、小声で呪文を唱える。杖の先に魔力の光がともった。隠れているのが魔法に疎い者であっても、もはや不意打ちが出来ないことは理解できるだろう。
 人がいるとおぼしき茂みの向こうに、動きは無い。ジャスティンは魔法を撃ち込もうかとも考えたが、一撃でしとめ損なった時のリスクを考えて躊躇した。相手の目的がレオンであるなら、自分が魔法を放った後、次の魔法を放つまでの致命的な隙を見逃すことはしないだろう。
 だが、結果的にはジャスティンの心配は杞憂に終わった。
「ごっ、ごめんなさいっ」
 声と共に茂みがガサガサと揺れると、人影が飛び出してきた。
「き、キャアっ!?」
 と思った次の瞬間、その人影は衣服の裾を枝に取られて前のめりに転んだ。長い黒髪がひるがえるのがジャスティンの視界に広がり、ごいん、と頭を打つ痛そうな音が響いた。
 突然の出来事に身動きできないジャスティンとレオンの前で、地面に突っ伏した人物、二人と同じ年頃の少女はもそもそと額をさすりながら身を起こした。
 恥ずかしさのせいだろう、顔を上げた少女がみるみる赤くなっていくのが見えた。頬の赤みとは別におでこは赤くなり、瞳は痛みで涙目になっていたが、愛らしい顔立ちをした少女だった。帝国人とは少し違う顔立ちが、長く伸ばした黒髪に合っている。移民村という、帝国外の民族が移住してきて作った村落の出身だと思われた。
 と、少女の目がジャスティンをとらえ、今度はみるみる青くなっていった。
「ジャスティン……ジャスティン!」
 レオンに袖をひかれ、ジャスティンはようやく、自分が杖に魔力をためたまま呆けていた事に気がついた。少女が青くなるのも無理は無い。人を一人、簡単に撃ち殺せるだけの魔力をためた杖を向けられているのだ。抜き身の剣を突き付けられているのに等しい。
 ジャスティンは構えを解き、杖の魔力を解放した。
「君、大丈夫か?」
 レオンが声をかける。だが、身を起こす彼女に手を貸すことはしなかった。普段のレオンなら進んで手を伸ばすはずだが、今の彼の顔には笑みすらない。
 それを、今レオンは皇太子としての顔を見せているのだ、という事だと気付いたジャスティンは、杖を体に引き付けて立て、こうべを垂れる魔導士流の臣下の礼を示して後ろへと退いた。
 ジャスティンのそのしぐさと、レオンの服装と……なにより、雰囲気だろう。生まれた時から人の上に立つ事を義務付けられた人間が持つ威厳が、少女にレオンの正体を気付かせた。
 立ち上がりかけたのをやめ、あわてて地面に額をこすりつけた彼女に、レオンは声をかける。
「君の名は? ……この場所は、私の個人的な空間だ。何の故あって、断りもなく足を踏み入れた?」
 その声に、びくりと一瞬少女は肩を震わせたが、思いのほか、しっかりした声で答えた。
「ご無礼をお許しください、皇太子殿下。私の名は、峰雪=如月(みゆき=きさらぎ)と申します。先日より、宮廷魔導団の一員として、お城に勤めることが許されました……」
 なんという偶然もあるものだ……ジャスティンはその名前に驚いたが、レオンの方は眉ひとつ動かしていなかった。
「それで? なぜ、ここにいる?」
 淡々と先を促すレオン。ジャスティンは自分の時との違いに少なからず驚いたが、同時にそれはもっともかもしれない、とも思った。自分の時は堂々と不法侵入した挙句、昼寝までしていた。それに対し、彼女はこっそりと茂みに隠れて様子をうかがっていたのだ。ジャスティンが、彼女が隠れている事を看破しなければ、そのままだったかもしれない。
 レオンと付き合い始めてまだそう長くないが、レオンがコソコソとした行為をあまり好きでないという事を、ジャスティンは分かっていた。おそらく、そう言う所はあの豪胆な父親の血を継いだのだろう。
 少女――峰雪が、庭園は偶然見つけ、好奇心に駆られて入ってしまった事、話し声がしたため身は隠したが、悪気はなかった事を話すのを聞きながら、ジャスティンは内心、少女が哀れになった。
 ジャスティンには、少女がなぜこんな行いをしたのか、想像がついたからだ。少女のスカーフの留め具に描かれた杖と竜を組み合わせた紋章を見やり、ジャスティンはそっと溜息をついた。

 しきりに謝る少女にレオンも溜飲が下がったのだろう、次からは気をつけるようにと言い、彼女を返した。何度も振り返っては頭を下げて去っていく峰雪を見送り、やがてその姿が木立の向こうに消えると、
「どういう事だと思う? ジャスティン」
 と、振り返りもせずにレオンが言った。
 彼の機嫌の悪さを感じ取り、ジャスティンはもう一度内心溜息をついたが、表には見せなかった。
「あんまり怒っちゃ、可哀そうだぜ、レオン」
「そうかな?」
「そうだぜ。もう一回、落ち着いて状況考えてみ」
 ようやく振り向いたレオンに、ジャスティンは2本、指を立てて見せた。
「一つ目。この庭園の入り口は、ちゃんと結界で閉じておいた。なのに、彼女はこの庭園に入ってきた」
 レオンはうなずく。庭園に入った後、いつも入口は結界を張り直して閉じている。にもかかわらず、彼女が現れたという事は、彼女が結界を解いて入ってきたという事だ。
「普通、結界で閉じられた庭園には、入らないよな?」
「そうだね、ジャスティン。君ぐらいだ」
 その言葉にユーモアを感じ、ジャスティンは笑った。
「まったくだ。……二つ目。彼女は最初、こっそりこっちの様子をうかがってた」
「話し声がしたから、隠れたとか言ってたね」
「おかしくないか? 普通、声がしたら引き返すか、そのまま現れるか、だ。盗み聞きするつもりでもない限り、身を隠したりはしないだろ」
 レオンは、頷き、口を開く。
「そうだね。……そうすると、なにかい? 彼女は、僕達の会話を盗み聞きするためにここに来たってこと?」
「まぁ、目的はそれだと思うけどな。でも彼女は、誰のどういう会話なのか分からずに盗み聞きしてたんだと思うぞ。……お前が皇太子だと、最初から知ってた感じでもないし」
「……なぁ、ジャスティン。君には、見当が付いてるんだろう? もったいぶらないで、教えてくれ」
 ジャスティンは、手近に置いてあったラピス材の椅子に杖を立てかけ、ついで自分も腰かけた。レオンもならって椅子に座るのを見ると、ジャスティンは言った。
「いわゆる、新人いじめってやつだな」
「新人いじめ?」
「俺も昔、やられたよ」
 そう言うと、ジャスティンは自分が宮廷魔導団に入りたての頃に起きた事をレオンに話した。
 当時、使用人が起床している宿舎で、ボヤ騒ぎが起きた。大事には至らなかったものの、消火作業のせいで宿舎は水浸し。住み込みで働いていた執事やメイドたちは、一時的に城の一室を借りて、そこで身支度などをしていたのだ。
 ジャスティンが宮廷魔導団に入ったのは、ちょうどその頃だった。そしてその日、先輩(と言っても50近い男で、ジャスティンから見ればはるかに年上なのだが)から、城の一室へ荷物を届けるようにと言いつけられたのだ。
 訝しく思いつつも指定された部屋へ行き、ノックをして、入ろうとノブに手を伸ばしかけた瞬間、ジャスティンはそれに気づいたのだという。
「ちょうど、西日でさ。窓から入った光に、何か反射するのが見えたんだよ」
 振り向いたジャスティンが見たのは、廊下の角からこっそりと突き出す魔法写真機――魔力を利用して、薄い紙の上に映像を残す装置だ――のレンズだった。ジャスティンが振り向くのに気付いたのだろう、すぐに持ち主が逃げていく足音が聞こえたという。
「後から聞いたら、その部屋は臨時のメイドたちの更衣室だったんだと。大方、俺がノブに手をかけたところを撮影して、ばらまこうとか考えてたんだろうな」
 レオンが顔をしかめた。
「いじめと言うには悪質だね……それで、どうしたの?」
 ジャスティンはニヤリと笑った。
「どうもしないよ。……ただ、宮廷魔導団には模擬戦の訓練もあってな」
 その続きは聞かずとも、レオンには想像できた。
「わかった、わかったよ、ジャスティン。そうすると、今回の彼女の行動も、そういう物だってこと?」
「そうだと思うぜ。俺が頻繁にこの庭園に出入りしてるんで、気にした奴が宮廷魔導団にいたんだろう。大方、そいつがあの峰雪って子をけしかけて、こっそり偵察してこいとか言ったんじゃないかな。
 ……もちろん、見つかることを折り込み済みでな」
 それだけ言うと、ジャスティンは杖をつかみ、勢いをつけて立ち上がった。
「とにかく、そう怒るなよ、レオン。それに、可愛い子でよかったじゃないか」
 その言葉に、レオンはぱっと顔を上げた。
「そうだよ、ジャスティン……どうしよう?」
 急にそわそわし始めたレオンを見て、ジャスティンは大笑いした。


  

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