2 血と宿命


 金属音が響く。剣と剣を打ち鳴らす音、盾が剣を受ける音。そしてまた響くのは、今度は戦う人々の気合いの声だ。
 音が響いているのはカルセドニア城の西にある兵舎、その一角に設けられた訓練場だ。
 今、訓練場の中央では二人の人物が激しく打ち合っている。片方は筋骨たくましい体に、ブレストプレートを付けただけの男。もう一人はフルプレートの鎧に兜を付けた小柄な青年だ。
 筋肉質の男は体に見合った大柄な剣を振り回し、青年を狙う。訓練用の剣で刃を潰してあるとはいえ、振り回しているのが金属の塊であることに変わりは無い。もろに受ければ大変なことになるはずだが、青年は剣と盾を器用に使って次々と攻撃を逸らしていく。
 空振りが続き、疲れが出たのだろう、筋肉質の男が一瞬隙を見せた瞬間、今度は青年が猛烈に斬り込んでいった。手首を利用してひらめくように剣を回し、鋭い斬撃を繰り返す。剣が弾かれれば、弾かれた勢いを利用して弧を描くように再度斬りつける。流れるようなその剣技は、カルセドニアに古くから伝わる剣術の型だ。
 じり貧になることを恐れ、男が重量任せに剣をはじき返す。さすがに青年の攻撃の手が止まった……と見るや、男は全力の突きを繰り出した。
 次の瞬間、青年の体が最小の動きで沈み込むと、突きこまれた剣を紙一重でかわした。青年の盾が自分の腕を受け流したのを感じたと同時に、男は自分の喉元に切っ先がつきつけられるのを感じた。
「それまで!」
 声がかかり、周囲で見守っていた兵士たちがやんやと喝采を上げた。
 男と青年が体を放す。
「いや、お見事です、殿下。お強くなられましたな」
 たった今戦っていた男に言われ、レオンは顔を覆っていた兜を脱いだ。
「ふぅ、熱い! ……ううん、まだまだだよ、セバス。何度か、鎧が無かったら危ない場面があった」
 レオンは、近寄ってきた兵士に兜と剣を手渡した。
「セバスは、相変わらず剣の重さに頼りすぎだよ。気を付けていれば、最後の受け流しは食らわなかった」
「あれを受け流せるのは、殿下と陛下、それに大隊長ぐらいですよ」
 その軽口に笑いながら、レオンは控えの間の方へと歩いて行った。そこに人影があるのに気付いていたからだ。
 レオンが近づくのを見、峰雪はペコリとお辞儀をした。
「お疲れ様です、殿下。タオルと冷たいお飲物を用意しています」
「ありがとう」
 タオルを受け取り汗を拭いていると、峰雪がレオンの脇へ回ってかいがいしく鎧の留め具を外し始めた。
 セバスや他の兵士たちがニヤニヤしながら離れていくのを眼のすみで見やり、
「なぁ、峰雪……こういうの、なんとかならないのかな?」
 と、もう何度繰り返したか分からない事を小声で聞いた。峰雪の返事はいつも通りで、
「これが私の仕事だもの」
 と、クスクス笑いながら言うだけだった。
 仕事も何も……と、レオンは思う。
 峰雪の立場が、レオン付きの侍女だと聞いたのは、もう3年も前。彼女とあの秘密の庭園で出会った日だ。あの日、ジャスティンと別れ〈奥の間〉――普通の兵士などは出入りできない、城の中枢――へと戻ると、宮廷魔導団の団長に彼女と引き合わされたのだ。
 団長は、彼女がとある移民村の出身であり、その民族が祭っている神が〈現神(うつつがみ)〉と呼ばれる物の一柱であること、その知識が魔法研究に重要と思われること、そして彼女がその研究に協力する代償として、異例ながら宮廷魔導団に入団する運びとなったことを告げた。
 もっとも、レオンにとって一番問題となるのは、彼女が〈影〉となることだったのだが。
 〈影〉としてレオンの護衛をするにあたり、彼女には表向きの役割が与えられた。それが、レオン付きの侍女という、レオンも予想だにしていなかったものなのだ。
 そうして、彼女との付き合いが始まって3年。そう、もう3年だ。早いものだ、とレオンは思う。
 相も変わらず、人前でかいがいしく世話をされると気恥ずかしくなってしまうが、今ではすっかり、彼女がいるのが当たり前になってしまった。朝になれば彼女が起こしにくるし、着替えの類を用意するのも彼女だ(さすがに着替えの手伝いだけは、執事に頼んでいるのだが)。
 初めのうちこそ敬遠する感はあったが、やがてどこへ行くにも連れて歩くようになったのは、やはりこの少女と気が合ったからだろう。レオンはそう思っている。
 レオンが、峰雪と仲良くやっているのは、父であるヴォードも喜ばしく思っているらしい。レオンにとっては喜べないことだったが。
 はぁ……とため息をつくと、外した鎧を鎧掛けに戻していた峰雪が振り向き、小首をかしげてみせた。なんでもない、と頭を振って応えると、峰雪は何が面白いのか、クスクスと笑いながら作業に戻っていった。その笑顔がまぶたに焼き付き、レオンはまた、ため息をついた。
 貴人の青年に対して、若い女性や同年代の少女をお付きの侍女としてつける、というのは、ただ侍女としての仕事以外に、別の含みがあるのだと聞いたのは、よりにもよってレオンが18になった誕生日だった。
 祝いの席で散々飲んだ父が、レオンを自室に誘ってさらに飲み始め、ついにはベロベロに酔って言い始めたのだ。
「よいか、息子よ。お前はこの国の皇太子。いずれは、カルセドニアを背負って皇帝となる身だ」
 ここまでは良かった。
「だが、皇帝になれば自由に結婚などできん。貴族たちが選んできた女性を妃に迎えねばならん。もちろん、相手の人柄や、幸せな家庭を築けるかなどと言う事は、貴族たちの眼中にはない。彼らにあるのは、己の利権や立場を守ることなのだからな。……誰の事を言っているかは、今は問うなよ」
 問うまでもなく、レオンには分かった。誰よりも憎んでいる女なのだから。
 レオンの内心をよそに、父は涙目になりながら続けた。
「私は結局、恋愛と言うものと無縁な人生を送ってしまった。リリー……お前の母だけは別だったが……いや、よそう。とにかく、わしは今でも、青春を戦場で散らすだけだった事を後悔しておる。だから、レオン。私はお前には、そういう人生を送ってほしくないのだ」
 父は、がっしと、レオンの肩を掴んで、そして言ったのだ。
「お前のもとへ付けてやった峰雪ちゃん……かわいいだろう? 私は一目見て、お前と気が合うに違いないと思ったのだ」
 この一言で、レオンは父が何を言いたいのか分かった。同時に、なぜ峰雪が自分の〈影〉として選ばれたのかも分かってしまった。
(黒幕はあなたでしたか、父上……)
 がっくりと肩を落としたレオンに、父は喜々として、一晩じゅう峰雪との仲を聞き続けたのだった。
 もっとも父には、レオンがそう言われたからと言って簡単に手を出す性格ではないと分かっていたのだろう。

 峰雪が用意してくれた冷たいお茶を一気にのどに流し込むと、レオンは彼女を伴って訓練場を出た。半歩後ろに立って横を歩く峰雪から微かに花のような香りがし、レオンは我知らず、鼓動が早くなるのを感じた。まったく、父上も余計な事を言ってくれたものだ。
「この後、夕方からローディスの町長との謁見が入っているけど……それまでは暇ね。どうする? レオン」
 人前でなければ、峰雪も同世代の相手と普通に話すように喋る。レオンもまた、同じように返した。
「そうだな……今頃なら、ジャスティンも訓練中だろう。ちょっと見て行こうか」
 言って、レオンは足を訓練場の横の建物へと向けた。そこは、魔導士たちが訓練に使うもう一つの訓練場なのだ。
 魔法の暴発を防ぐために、魔法訓練場は通常の訓練場とは違い扉を閉ざしている。扉に青の札がかかっているのを確認し、レオン達は扉を開けて中へと入った。青の札は通常の訓練中か、あるいは訓練をしていない時であり自由に出入りできる。対して、赤い札がかかっている時は危険な魔法実験などを行っている時で、人の出入りは禁止される。
 魔導士たちの場であるためか、普段、この建物は静かなものだ。兵士たちが打ち合う熱気もない。時たま、強力な魔法を使った時などに大きな音がするぐらいだ。
 だが、今日は勝手が違った。
「ふぎゃああああああああっ!」
 曲がりくねった廊下の先、奥まった場所にある訓練場から悲鳴をあげて男が転がり出てきた。
 あっけにとられるレオンと峰雪の目の前で、初老に近いその男は転がり……転がったところへ、訓練場から飛び出してきた死霊の群れが襲いかかった。
「んぎえええええええええっ!」
 死霊に群がられ、男は悲鳴をあげて転がりまわるが、その程度では死霊は離れない。むしろ、なぜかレオンには死霊達が嬉しそうにじゃれついているように見えた。
「お、お助けーーーーーーー!」
 今度は中年女性が走り出してきた。やはり、死霊が群がっては噛みついて……いや、じゃれついている。
「な、何が起きてるんだ……?」
 レオンが訓練場を覗き込むと、そこは阿鼻叫喚を絵に描いた光景が広がっていた。
 訓練場の中心に広がる、黒い光を放つ魔法陣。そこから黒い光柱が天井へと突き立ち、ひっきりなしに死霊があふれだしては、周囲にいる人々に襲いかかっていた。
 死霊に群がられ、転がりまわる人、人、人。泡を吹いて悶絶している者までいる。総勢で10人ほどだろうか。
 その中で一人、光柱の横に平然と立っている青年を見、レオンは思わず、
「ジャスティン! なにやってんだ!」
 と声を上げた。
 声に、青年がくるりと振り向いた。三年前会ってから変わらない、深い藍色の瞳がレオンを見る。その瞳が一瞬、驚きに染まったが、それ以上に柔らかい喜びに染まった。
 その瞳に、レオンは一瞬、3年間と言う時間を忘れた。三年前、あの庭で友人となった時も、ジャスティンはこんな風に柔らかい喜びを目に浮かべていたのだ。
 だが、その一瞬は、次の瞬間、峰雪を見たジャスティンの驚きの声で終わった。
「あ、まずい! 峰雪、逃げろ!」
「え?」
 峰雪が驚きに身を固くした時には、遅かった。
 光柱からあふれ出した死霊達が、群れをなして峰雪に襲いかかった。
「きゃああああああああっ!?」
 あっという間に死霊に群がられる峰雪。パニックに陥った彼女は、悲鳴を上げながら手を振り回し、死霊を取ろうとする。実体化しているため掴めるはずだが、死霊はぬめるナマズのように峰雪の手をすり抜けては、楽しそうにじゃれついた。
「あぁ……遅かった」
 すたすたと歩み寄ってきたジャスティンを半眼で睨み、レオンは言った。
「……今度は何したの、ジャスティン」
「おいおい、人聞きが悪いな。先に手を出したのはあっちだぜ」
 そう言って、ジャスティンは室内で転がりまわる人々を見まわす。
「訓練とか言って袋叩きしようとしたのさ。まったく、懲りない奴らだよな。何回やり返されたら気が済むんだか」
 レオンは大げさにため息をついた。
「だからって、やりすぎじゃない? これ、闇属性の上位魔法だろ?」
 魔力――その源である〈ファンタズマゴーリア〉――に宿っている〈記憶〉にかりそめの形を与え、死霊と言う形で使役する魔法だ。効果範囲が広い上に強力なため、過去幾度も戦闘の中で大きな成果を上げてきたと聞いている。
「心配するなって。普通は、凶暴なやつを呼び出して攻撃に使うんだが、さすがにそれだと死人が出るだろ? ……だから、ものは試しに人懐っこい奴を呼び出してみたんだ」
 じゃれついてるのはそのせいだな、とジャスティンは笑った。レオンは笑えなかったが。
「宮廷魔導士を狙うように設定したからさ。だから、峰雪も狙われちまって」
 レオンとジャスティンが見やると、峰雪はまだ
「きゃーーーーーーっ! 取って、取ってえええええ!」
 と叫びながら、手を振り回していた。
 レオンがもう一度半眼で睨むと、ジャスティンは苦笑して、杖を掲げた。
 魔力と術式が解放され、死霊達が緑色の光の粒子に姿を変えて消えていく。あとには、ぐったりと横たわる人たちだけが残されていた。

 力尽きたように倒れこむ魔導士たちをレオンとジャスティンは順番に〈控えの間〉へと運びこんだ。ほとんどの者がうつろな目で虚空を見、なかにはぶつぶつと何事かつぶやいている者もいたのがレオンは心配だったが、ジャスティンは
「別に精神攻撃はしてない。そのうち戻るだろ」
 と平然としていた。
「本当に大丈夫なんだろうね?」
 ようやく全員を運び終え、レオンは聞いた。ジャスティンはうなずき、
「大丈夫だよ、害はない。……ただ、あいつらはあの魔法の威力を知ってるからな。そういう意味じゃ、普通の奴より怖い思いはしただろう。あと、ちょっと気持ち悪かったのかも」
 その言葉に、訓練場の隅で座り込んでいた峰雪が、きっと顔を上げた。
「気持ち悪いどころじゃないわよ! 本当に、もう、ナマズだかウナギだかが体中這いまわってたみたいだったわ!」
 まだ感触が残っているのだろう。手足をさすりながら峰雪が怒鳴る。
 だが、当のジャスティンは、
「う、ウナギが全身を這いまわる……」
 とつぶやき、にやけただけだった。もっとも、直後に峰雪にすごい目で睨みつけられて、彼はあわててその笑みを引っ込めたが。
 その姿にレオンはからからと笑い、ふと思い立ってジャスティンが立てかけていた訓練用の杖を取ると、それをジャスティンに放った。器用に杖をキャッチし、何事かと首をかしげるジャスティンに、もう一本杖を取って見せてレオンは言った。
「少し、訓練しないか? ジャスティン」
 ジャスティンのせいで、今この訓練場に人はいない。普段なら、皇太子であっても安全がどうのと理由をつけられ、いちいち申請しなければいけない魔法用の訓練場を、こっそり利用するにはうってつけと言えた。
「僕とやるのは初めてだろ」
 レオンとジャスティンは、1対1でやり合った事は無い。レオンの訓練の時は、かならず団長か、あるいは宮廷魔導団でも上の立場に立つ者が当たっていた。ジャスティンはレオンの訓練の様子を見たことがあったし、レオンもまたそうだったが、二人で模擬戦をした経験は無かった。
 ジャスティンは杖を構え、にやりと不敵に笑った。
「いいぜ。……でも、手加減しないぞ?」
「望むところだよ。僕だって負ける気は無い」
 峰雪が(勝手に使って大丈夫なの?)という目で見ているのは気付いたが、レオンは気にしなかった。むしろ、どこかワクワクした気持ちで訓練場の中央へと歩く。
「応援頼むよ」
 軽く峰雪を振り返って言うと、彼女はちょっと考えるそぶりを見せたが、すぐに笑顔に変わり、元気良くうなずいた。
「俺も頼むぜ」
 と、ジャスティンも言ったが、峰雪は「ジャスティンは応援しない」と冷たく返しただけだった。
 訓練場の中央、そこに描かれた魔法陣を挟むようにして二人は立つ。周囲の壁は呪紋処理で強化してあるため、放たれた魔法が外へ出る事は無い。さらに、訓練用の杖には魔法の威力を制限する〈封呪〉と呼ばれる処理がしてあるため、よほど強力な魔法でも思ったほどの威力が出ないのも特徴だった。
「ルールは?」
「普段通りでいいだろ」
 レオンの問いにジャスティンが答え、二人は同時に杖を構えた。
 レオンは杖を両手で持ち、体を半身に構えて杖の先端をジャスティンへと向ける。魔導士流のファイティングポーズだ。自身の魔法の力が及ぶ範囲へ入るなと言う、戦闘の意思表示。
 ジャスティンの構えは、それとは違う独特な構え。杖を利き腕と逆に持ち、体に対して斜めに構えている。利き腕は、人差指と中指を揃えて立てた〈魔術師の短剣〉を象徴する〈剣印〉の形。
 レオンは油断なく構え、いつでも跳んで攻撃をかわせるように重心を落として足に力を込めた。ジャスティンがあの構えを取るのは、本気で戦う時だけだと知っているのだ。
 ジャスティンがあの独特の構えから一瞬で魔法を放つのを、レオンは何度も見てきた。どういう仕組みかはついに教えてもらった事がないが、異常と言えるその魔法発動の速度こそ、ジャスティンを“天才”と呼び称させるものであるとレオンは知っている。
 じり、とジャスティンが一歩を踏みこむ。レオンもまた、足をすらせ、ジャスティンへと近寄った。ジャスティンが口の中で呪文を唱えた、と見た瞬間、レオンは体を大きく振り、重心移動を利用して体を横へ跳ね飛ばした。ジャスティンが杖を振り下ろすのと、ぐにゃりと風景をゆがめて重力塊がレオンの横をすり抜けるのが同時だった。
 杖をひらめかせ、口の中で早口に呪文を唱える。バランスを崩さぬように駆けながら、意識を杖の先に集中させ、自分の呪文とそこに織り込まれる言霊が魔力を通して世界を書き換えていく様を想像する。
 レオンの杖の先に光の粒子が飛び散り、矢となってジャスティンへと向かった。当たったと思った瞬間、だがしかし、光の矢はジャスティンの作りだした闇の刃に撃ち落とされていた。
 ジャスティンが刃を構えた利き手を――〈剣印〉を軽く動かすと、それだけで刃が槍へと姿を変え、レオンへ向かって撃ちだされてきた。あわてて構えた杖で槍を受け流す。槍を受けた部分が削り取られ、黒い槍がレオンの頬を掠めた。
 これで、たがいに魔法を撃ち合った事になる。仕切り直しだ――次の手を考えながら、ジャスティンの横へと回り込みかけて、レオンは目を疑った。
 ジャスティンが振り下ろした杖を逆袈裟に振り上げると、それだけで重力塊が生まれ、レオンへと迫ってきた。踵を軸に体を回し、半身にすることでギリギリで回避する。
(これが、ジャスティンの本気か――!)
 異常ともいえる連射速度。隙が大きい魔法をどのタイミングで使うかを第一に考え、相手の出方を予測して戦う魔法戦闘のセオリーを根底から崩す戦い方だ。思考の半ば、ジャスティンが〈剣印〉を切る。しゃあ――っと糸を引くように黒い軌跡を残し、死霊が腕から放たれる。放たれた死霊は牙をむき、四方からレオンへ襲いかかった。
 レオンはジャスティンへの接近をあきらめ、呪文を唱え、杖を振る。一つ、二つ、三つと光の球が周囲に生まれていく。
(伸びろ――!)
 意志と同時に球が槍へと変じ、接近してきた死霊を刺し貫き、死霊ともども緑色の光の粒子となって砕け散った。もう余裕は無かった。とにかく一撃を入れようと杖を構え直し、呪文を唱え始める。だがその瞬間、レオンは、がくんっ、と何かに足を取られてつんのめった。見ると、いつの間にか自分の足もとに魔法陣が光り、そこから延びた黒い木の根のようなものが足へと絡みついていた。
 振り仰ぐと、ジャスティンは床へと付けていた杖の切っ先を持ち上げ、不敵に笑った。
「チェックメイト」
 びっ、とそのまま〈剣印〉をレオンの喉元へ突き付けてジャスティンが言うと、魔法をかけられたわけでもないのに、レオンはがくんと膝の力が抜け、尻もちをついていた。
「ジャスティン! ちょっと、やりすぎよ!」
 峰雪が騒ぎながら近寄ってくるのを感じながら、レオンはようやく、自分がひどく汗をかいている事に気がついた。
 ジャスティンが手を伸ばし、それを取って体を起こすと、ふらりと立ちくらみがした。
「呪文を唱えすぎだよ。体の中の魔力を使いすぎたんだ」
 ジャスティンが言い、体を支えてくれる。壁際へと歩み寄り、どさりと腰をおろした。
「気をつけろよ、レオン。呪文ってのは、最初の〈断章〉のいくつかに〈現神〉への接続や魔力の汲み上げのプロセスが入ってるんだ。下手に呪文の頭だけ唱えて止められると、魔力の無駄遣いになるからな」
 言葉に、レオンはうなずいた。そのこと自体は、レオンも知っている。
 自分達が使う魔法は、自分だけの力で使っているのではない。天界にいると信じられ、信仰の対象となっている〈現神〉と呼ばれる神々の力を借りて使っているものだ。彼らの力を借り、自身の魔力を呼び水として大地の底の魔力の流れ――〈ファンタズマゴーリア〉から魔力を汲み上げる。それを望む形にして放出するのが、魔法と呼ばれる力だ。
 魔法を使うための呪文は、いくつかのパーツに分けられる。それが〈断章〉、つまりは詩の欠片で、これを組み合わせる事で一つの呪文になるようになっている。〈現神〉へと呼びかける詩、魔力を汲み上げる詩、魔力を望む形にする詩……といった物を組み合わせるのだ。新しい〈断章〉の開発や組み合わせの発見が、すなわち新しい呪文の発明と言える。
 だが、そう言った知識と今回の負けは別の問題だと、レオンは思う。峰雪から清潔な布を受け取り汗をぬぐいながら、レオンは口を開いた。
「なぁ、ジャスティン。なんで、君はあんなに魔法を使い続けられるんだ?」
 言葉に、つと、ジャスティンは口をつぐんだ。
「たしかに、半端に呪文を唱えちゃいけないって、訓練の時もいつも言われる。確実に魔法を放てるタイミングを見極めるのが、魔法戦闘では一番重要だ、ってね。……でも、あのタイミングで妨害されるのは予想外だった」
 レオンは自分の足へと目を落とした。根のような物に巻きつかれた時に痛めたのだろう、軽い痛みがあった。
「魔法が放てるタイミングじゃないと思ったんだけどな。いつ、呪文を唱えたんだい?」
 ジャスティンは黙っている。その表情に迷いを見たレオンは、聞いた事を少し後悔した。横合いから、峰雪が口を挟む。
「いいじゃない、魔法は奥が深いってことで」
 にこやかに微笑む峰雪が、目でそれ以上問うなと言っている。おそらく、宮廷魔導団の中でもジャスティンが触れられたがらない話題なのだろう。すまなかったと口を開きかけた時、ジャスティンが言った。
「……いや、いいよ。お前らには話してやる」
 峰雪が驚いたようにジャスティンを見、レオンもまた、驚いた表情を浮かべてしまった。その表情にちょっと苦笑を返すと、ジャスティンはゆっくりと話し始めた。

「ほんの小さな頃からさ。俺には、不思議な光が見えた」
 レオンと向かい合うように座り、ジャスティンは胡坐をかいている。横では、峰雪が行儀よく正座していた。
「それは、ぼんやりしたモヤみたいな時もあれば、文字のように見える時もあった。でも、別に不思議なものだとは思わなかったんだ。小さな頃だったしな。誰でも見えるものだと思ってた。
 そのうち、それを使って遊びを覚えたんだ。その光をいじると、不思議な事が起こった。小さな炎が生まれたり、風が生まれたり……俺はそれが面白くて、友達に自慢して回ったものさ」
 友人たちは面白がったという。得意になっていたジャスティンは、そのうちに気がついた。
「俺の他には、あの光は見えていなかったんだ。どうしてかって母親に聞いたら、それは俺が英雄の血を引いているからだと言われた。かつて、天才と呼ばれた〈精霊使い〉の血を引いているからだと。
 それから何日かして、親父があわてて帰ってきた。魔法の師範で城にいて、いつもは年末ぐらいにしか帰ってこないのにな」
 ジャスティンは笑った。さみしそうな笑いだと、レオンは思った。
「親父は俺に言ったよ。今から一つの事をやって見せるから、光が見えるか答えろってな。親父は呪文を唱えて、魔法を使った。炎の魔法だった。
 ……俺には、親父の呪文が光にぶつかって、形を変えて、炎になっていく様子が手に取るように見えた。
 親父がやってみせて、そういえばって気づいたよ。親族やら知り合いやらが魔法を使うのを見るたびに、あの光は見えていたな、って。それを言ったら、親父は喜んだ。お前は〈原初の魔導士〉だ、って」
「〈原初の魔導士〉?」
 レオンの言葉に、ジャスティンが頷いた。
「ずっと昔……魔法王国が出来る前は、魔法が使える奴は一握りだった。なぜかと言うと、魔法を使える素質、つまり、体内の魔力の量が多い奴は今より大勢いたんだが、その使い方を習得していた奴が少なかったからだ」
 力を持っていても、それを振るう術を持たない。そう言う者が大多数だったという。だが、中には例外がいる。彼らは生まれつき、あるいは後天的に魔力を扱う才能を持った者だった。
「それが〈原初の魔導士〉さ。彼らは、今みたいに呪文を使わずに魔法を使えたんだ」
「どうやって?」
「詳しくは知らないが、言葉や身振り手振りが多かったらしい。歌や踊りの起源は呪術的な儀式だったって話を聞いた事があるだろう? あれは〈原初の魔導士〉を見て、その力にあやかるために真似をしたのが元だと言われている」
 言葉に、峰雪が頷いて見せた。それならばと、レオンは疑問を口にした。
「じゃあ、今の呪文は? 修得すれば、誰でも使えるけど……」
 ジャスティンは、学生から的を射た質問を受けた教師のように笑った。
「それこそ、何百年も前に魔法王国が生まれて、歴史上ただ一国だけ大陸を制覇出来た理由だ。誰でも使えるって言ったよな?
 ……そう、つまり彼らは呪文を発明する事で、素質のある人間ならだれでも魔法が使えるようにした。魔法を体系化して、知識として確立したんだ」
 ジャスティンは、歌うように続ける。
「それまで〈原初の魔導士〉しか扱えなかった魔法。それを誰もが使えるものにした。それは、魔法の歴史の中で革命的なことだったんだ。500年前に魔法王国は崩壊して、大量の知識が失われたけど、呪文によって体系化した魔法を使うという点だけは、生き続けた。その命脈の果てにいるのが、俺たち現代の魔導士ってことだ。
 ……当然、普通の魔導士は呪文を習得しなければ魔法は使えない。だが……」
「中には、ジャスティンみたいな人がいる、ってことね」
 峰雪が小首を傾げる。
「ねぇ、今もその光は見えてるの?」
「あぁ」
 答え、ジャスティンは片手を上げると〈剣印〉を作って見せた。無造作に――レオンにはそう見えた――〈剣印〉を振るうと、ジャスティンの指先にぽうっと明るい蛍火色の明かりがともった。〈灯火〉の魔法だ。簡単な魔法で術者の属性にも影響されないため、魔導士が初めに習う呪文としてレオンも知っていた。同じ系統の魔法に、まばゆい光を放つ〈閃光〉という魔法もある。
「今、呪文は唱えていない。呪文を唱えた時に起きる魔力の動きを、〈剣印〉で再現してるだけだ」
 ジャスティンは〈剣印〉を解くと、力なく笑った。
「俺の魔法の“種”は、つまりこう言う事さ。普段、他の奴には見えないが、この世界は魔力の〈揺らぎ〉で満ちている。一定しているようで、そうじゃない。常に動いて、不均一になってるんだ。俺には、それが光として見える。
 呪文は、大量の魔力を加工して〈揺らぎ〉にぶつけて、世界を書き換える。俺は呪文を使わなくても、汲み上げた魔力と〈揺らぎ〉を干渉させて世界を書き換えられる。なにせ〈揺らぎ〉が見えるからな。
 ……俺に言わせれば、現代の呪文は無駄な所だらけさ。効率が悪いし、時間もかかる。その分、俺が有利に見えるだけだよ」
 言われ、レオンはその優位性に気がついた。自分は『自分の呪文とそこに織り込まれる言霊が魔力を通して世界を書き換えていく様を想像する』ことでしか魔法を使えない。
 だが、その過程が目に見えれば? 自分が泥水の中を手でかきまわし、手探りで水の底に沈んでいる金貨を探しているのだとすれば、ジャスティンは透明な水の中に手を入れて金貨を拾っているようなものだ。
「でも、ジャスティン、呪文も使ってるよね? レオンと戦ってた時だって呪文を唱えてるのが見えたわ」
 峰雪がちょっと口を尖らせて言うと、ジャスティンは屈託なく笑った。
「使えるものは使う。間違ってないだろ? 呪文の中にも、使った方が楽な〈断章〉もあるんだ。呪文は、道具の一つだよ。俺は他の奴より、少し使える道具が多いってことさ」
 よっ、と掛け声をかけてジャスティンは立ち上がった。
「シャワーでも浴びて来ようぜ。レオン、お前だってその汗まみれの格好でいるわけにもいかないだろ」
 言葉に、峰雪があーっと大声を上げた。時計を見れば、すでにだいぶ時間が経っている。謁見には間に合うだろうが、準備の時間を考えるとあまり余裕はなかった。
「そうだね、行こう」
 立ち上がりかけ、レオンはふと、思った事を口にした。
「ジャスティン。呪文も言葉も身振りも、なにも使わずに魔法は使えるのかな?」
 ジャスティンが首をかしげる。レオンは続けた。
「呪文は道具の一つなんだろ? だとしたら、なにも使わずに魔法を使う事も出来るんじゃないかな。ほら、道具を使わなくても出来る事って結構あるだろ?」
「ううん、どうかな……」
 正直、ジャスティンもそんな事は考えた事が無かった。いや、むしろ魔導士として呪文や〈剣印〉といった技術に触れてきたが故に、考えなかったのかもしれない。だが言われてみれば、確かに子供のころの自分は、なにも使わずに魔法を使っていたはずだ。
「使えるんじゃないかな。……ただ、俺たちが普段使ってるような強力な魔法を使うのは無理だと思う。道具があって、初めて出来る事があるのと同じさ」
「あぁ、なるほど」
 レオンが得心して頷いた、その時だった。
「ここにおられましたか、殿下!」
 振り返ると、セバスと数人の兵士が駆け寄ってきた。みな、血相を変えている。
「……何があった」
 すっと自分が皇太子としての顔になるのを感じながら、レオンは一歩踏み出した。ジャスティンと峰雪は、その雰囲気を察して礼の姿勢をして後ろへ下がっている。
 レオンを探して走り回ったのだろう、上気した体は汗まみれだったが、男たちはレオンのもとへつくと一斉に膝をつき、臣下の礼を取った。
 レオンの胸に、いやな予感が広がった。セバス達の顔に、笑みが全くなかったのも気になったし、彼らの雰囲気としか言いようのないものが、否応なしに、レオンの動悸を早めていた。
 いやな動悸の早まり方だった。背に冷や汗が伝うのを、レオンは感じた。
 落ち着け、落ち着け……心の中で唱え、一つ大きく息を吸い込んだ。
「何があった。伝えよ」
 耳が痛くなるような一瞬の沈黙ののち、セバスが顔を伏せたまま、叫ぶように言った。

「ヴォード皇帝陛下が――お倒れになられました!」


  

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