5 挑む者 迎え撃つ者


 ファルの音が響く。皇帝レオン=カルセドニアがマントをひるがして現れると、ジャスティンはさっと片膝を折り、臣下の礼をとった。
 周りには、貴族たちや近衛の兵たちがずらりと並んでいる。今、ジャスティンはただ一人、玉座の正面にいた。それは、彼ただ一人だけが、今、皇帝と謁見している事の現われだった。
「面を上げよ」
 大臣の声が響き、ジャスティンは顔を上げた。こうして、正面から互いの顔を見合うのは、ずいぶんと久しぶりの事だった。ジャスティンはレオンの顔を見上げ、驚いた。
 あの、いつも春風が吹いているような穏やかな顔をしていた彼が、ひどく疲れた表情をし、暗い眼をして玉座に座っていたからだ。
 ジャスティンはつかの間、彼に駆け寄り、なんでもいい、励ましの言葉でも何でもかけてやりたい、という衝動に駆られた。だが、それはこの場で許される事ではなかった。
「南の蛮族討伐へ赴く話、聞いた。
 かの蛮族たちの所業を、帝国は決して看過しない。蛮族たちが民の生活を脅かす事はもとより、すでに多くの英雄達が蛮族の地で散華した。
 英才と名高い貴君が、自ら進んで危険な地へ赴く決意をしてくれたこと、国と民を代表して礼を言おう」
 平坦なレオンの声に、ジャスティンは叫びだしたいような、たまらない思いに駆られた。
「見事、蛮族を討ち果たし、帰還せよ」
「……御意にございます」
 レオンに、ジャスティンは深々と頭を下げた。
 彼が蛮族討伐へ赴く決意を団長イーサ=ムントへ伝えたのは、ロウェンと話し込んだ次の日の事だった。ジャスティンの言葉を聞き、イーサ=ムントは明らかに驚きの表情を浮かべたが、すぐにそれを笑みに変えると大げさな口調でジャスティンの決意を褒め称えた。
 大方、自分をどうやって蛮族討伐へ向かわせようかと思案していたのだろう。ジャスティンは冷静にそう分析していた。宮廷魔導団から煙たがられ、またレオンと親しい立場にいる自分が、率先して危険な任地に送られる事は容易に想像がついたからだ。
 だが、それでも今回、レオンのために、始めからジャスティンは蛮族討伐へ赴くつもりだった。ジャスティンは、蛮族討伐の度重なる失敗がレオンの立場を危うくする事を恐れていた。
 対魔導師部隊ですら、その蛮族の魔導師を倒す事はできなかった。これまでのような、バルディアとの戦争の“おまけ”のような形で蛮族討伐を行っても、もはや勝てる見込みは無い。
 だが、戦力を集めようとすれば、当然バルディアとの戦線に広がる帝国軍本隊から戦力を引き抜く事になる。その隙を敵対国であるバルディアが見逃すはずが無い。バルディアと停戦合意でも出来れば話は別だが、戦況がバルディア優位に進んでいる今の状況では、こちらから停戦を呼びかける事はできない。
 このジレンマの中で、身動きが取れないままに蛮族を野放しにすれば、その批判は必ずレオンへと向けられる。すでに色々な批判が彼にされているのを、ジャスティンは耳にしていた。
 だからこそ、ジャスティンはあえて、蛮族討伐へ赴く事を決めた。ロウェンに〈迎撃魔法〉の話を聞きに言ったのもそのためだ。レオンを助けるために自分に出来る、これが数少ない行動の一つだと、ジャスティンは思っていた。
 ファルの音が響き、レオンが退室する。ジャスティンもまた、退出の許しを得、謁見の間を後にした。
 〈中の宮〉の廊下を歩きながら、ジャスティンは、レオンの暗い表情が目に焼きついて離れなかった。

 *

 ジャスティンの出立は、寂しいものだった。見送る者も無く、ジャスティンは城門を抜け、城を後にした。一人の兵士さえ連れず、ただ従者の老人が一人、彼が乗る馬の口を引いているだけだった。
 水路を利用し、水上都市オンクウを経由して鉱山都市エイビスへと着いたのは、帝都を発って一週間の後だった。ここから先は、馬を使って南へ、道らしい道も無い場所を駆けていくことになる。馬なら、2日もあれば蛮族たちの地に着くと思われた。
 ジャスティンは老人に金貨を一枚渡し、丁寧に礼と別れを告げた。金貨一枚というのは、従者という仕事にとっては一月分の収入に近い。老人は驚き、返そうとしたが、ジャスティンは受け取って欲しいと言い重ねた。この老人が、一人の供もつけられなかったジャスティンの事を聞き、善意から従者を買って出てくれたのを、ジャスティンは知っていたからだ。
 老人と別れ、ジャスティンは馬を走らせた。途中、蛮族の来襲を警戒していた村落から歓待されたが、ジャスティンは村にとどまらず、日が落ちても馬を走らせ、わずかばかり眠ると、日が昇る前にはもう馬に乗っていた。

 二日後、ごつごつとした岩肌がむき出しのまま続く、山岳地帯へとジャスティンは足を踏み入れた。谷間に流れる小さな小川のそばで馬を下り、馬に水を飲ませた。餌袋を首にかけてやると、馬は大喜びで干草を食べ始めた。
 ジャスティンもまた、小川で水をすくうと顔を洗った。ほこりにまみれた顔に冷たい水は心地よく、ジャスティンはほっとため息をついた。
 ここに来るまで、蛮族の姿は見えなかった。おそらくは、まだ帝国からの討伐隊が来る事を見越して、地の利があるこの場所から動こうとしないのだろう。ゲリラ戦術を取るようになっているという情報からも、見晴らしのいい平地よりも山岳地帯で戦う方を選ぶだろうと、ジャスティンは読んでいた。
 ジャスティンは荷を置くと、杖を片手に歩き始めた。相手の様子が何も分からない以上、向こうからやってくるのを待つしかない。
 山岳地帯の乾いた涼しい風を頬に感じながら、足元に転がる岩を踏みしめ、あるいは避けながら当てもなく歩く。人気の無い、寂しい山肌を歩きながら、ふとジャスティンは、自分が世界の果てに来てしまったような、そんな錯覚にとらわれた。
 足元を、小さなチャッチ(ネズミ)がジャスティンに驚いて駆けていく。チャッチがジャスティンから見て右手にあった大きな岩の陰へ走りこんだ……と思った瞬間、チャッチは再び、岩の陰からあわてて飛び出してきた。
 ジャスティンは短く呪文を唱えると、岩へ向けて重力塊を撃ち出した。ジャスティンの手の動きに合わせて重力塊は曲がり、岩を回り込んで、向こう側へと飛び込んだ。
 短い、苦痛のうめきが響くと同時に、剣を持った蛮族の男が岩陰からまろびでてきた。剣を持つ右の手で、左腕を押さえている。だらりと垂れ下がった腕は、おそらく重力塊が当たって折れたのだろう。
 ぴゅいーーーー! っと口笛の音が響き、周囲の岩陰から次々と蛮族の男達が飛び出してきた。奇襲が失敗した事を悟り、いっせいにかかることにしたのだろう。右手から3人、左手から2人。日の光を反射して、彼らの持つ剣が鈍く光った。
 ジャスティンは杖を構え、息を整えた。魔法を使うための呼吸法に切り替えると、身の内に熱い力が溜まっていくのが感じられた。
 右手の男の一人が、真っ先にジャスティンの元へたどり着くと気合の声とともに剣を振り下ろした。その一撃をジャスティンは難なくかわすと、杖の先に魔力をため、力いっぱい男の体に打ち込んだ。
 男が、まるで鉄槌に横殴りにされたように体をくの字に曲げ、吹き飛んだ。
 残りの4人が、構わずに突っ込んでくる。次々と剣がうなる。ジャスティンは、上段からの一撃を半身になって避け、喉めがけた横からの斬撃を手のひらに集めた斥力場ではじき、胸めがけて突きこまれる刃を重力塊でそらした。
 4人の剣士と1人の魔導師が、日の光の下で舞いを舞うように交差する。銀線が弧を描き、魔導師を狙って踊り狂う。しかし魔導師は、不安定な足場によろけもせず、時に体術で、時に魔法で、全ての攻撃を受け流していた。
 蛮族の男達は自分達が相手をしているこの魔導師が、それまで討伐隊にいた人間よりもはるかに手ごわい事に焦りを感じていた。どんなに力をこめて剣を振りぬいても、魔導師の男は最小の動作でそれをかわしてしまう。攻撃を受け止めることなく、常に動きながら全ての攻撃をそらす、その身のこなしに男達は完全に翻弄されていた。
 焦る男達と対照的に、ジャスティンは落ち着いていた。手首でひらめかせるように剣を回すカルセドニアの剣術と違い、蛮族の剣は剣術というほどの物でもなく、ただ力任せに棒切れを振り回しているのと変わらなかった。大雑把なその動きを読んで避けるのは、ジャスティンにとって造作も無い。
 一人の男の剣が、振りぬいた勢いを止めきれずに足元の岩を叩いた。隙を作ってしまった事を意識した時には、男の眼前の風景が陽炎のように揺らいでいた。重力塊を頭に叩きつけられ、男はあっという間に何も分からなくなった。
 剣を突き込んできた一人にすれ違うように重力塊を叩きつけ、こめかみを杖の先端で強打する。残りの2人のうち片方の剣を杖で巻き上げ、重力塊を顎に撃ち込むと、返す刀で剣を振りかぶった最後の男のみぞおちに杖を叩き込んだ。
 男達の体が吹き飛び、岩肌に叩きつけられるのを見ると、ジャスティンは杖を下ろし、荒く息をついた。さすがに、これだけの人数を相手にするのは骨が折れたし、大して強力な物は使っていないといえ、連続した魔法の使用はジャスティンから気力と体力を奪っていた。
 一番始めに腕を折った男は、いつの間にか姿を消していた。だが、構わない、とジャスティンは思っていた。あの男が他の蛮族たちの元へ戻り、ジャスティンの存在を伝えるだろう。そうすれば、遅かれ早かれ、件の魔導師が姿を見せるはずだった。
 ジャスティンは男達が目を覚ます前に急いでその場を離れると、荷と馬がある場所へと戻っていった。

 *

 ぱちぱちと薪のはぜる音を聞きながら、ジャスティンは杖を抱き、腰を下ろしていた。
 あぶっただけの干し肉と固く焼きしめたパンという味気ない食事を終え、ジャスティンはぼんやりと、ゆれる炎を見つめていた。
 炎によって自分の居場所が伝わる事は分かっていたが、気にしなかった。どうせ、火を焚かなかったとしても自分の居場所などばれるのだ。山の上は夜になると厳しく冷え込むのと、明かりがあった方がいざという時やりやすいという理由で、ジャスティンは日が落ちる前には火を起こし、それからずっと火のそばにいた。
 頭上を見上げると、銀砂をまいたような星空が広がっていた。この地方は乾燥しており、雨はほとんど降らない。雲ひとつ無い星空は、小さな声で、ジャスティンに何かを語りかけているようだった。
 たまらない寂しさに襲われ、ジャスティンはうつむいた。唐突に、レオンと二人で過ごした、少年の頃を思い出したからだ。

 知り合って一年ほどの頃だ。皇子にも反抗期という物があるのか、その頃のレオンは、何かにつけて妙な事を考えては、ジャスティンと峰雪を巻き込んで遊んでいた。
 彼が、突然干し肉やパン、それに毛布などを抱えてジャスティンの元にやってきたのは、そんなある日の事だった。
「野宿ってのをしてみよう」
 前置きもなしにそう言ったレオンを、ジャスティンは唖然とした顔で見返した。
 レオンは快活に笑うと、
「皇帝になったら、野宿なんてできないだろ」
 と、ジャスティンに荷物の一部を持たせたのだ。
 レオンはジャスティンに、野宿に適当な場所はどこだろうかと尋ねた。こうして、レオンが遊びを企画し、ジャスティンが細かい計画を練るというのは、いつの間にか2人の間で当然のことになっていた。
 ジャスティンはあれこれ悩んだ末に結局あの秘密の庭園を選んだ。まさか、街の中で野宿するわけにもいくまい。そして、城内で落ち着く場所といったら、そこしか思いつかなかった。
 庭に着くと、レオンは手早く庭の中央の落ち葉をどけ、そのまま木立の中へ足を進めるとぽきんぽきんと枝を折り始めた。
 驚くジャスティンが何に使うのかとたずねると、レオンは薪にするのだと笑って答えた。
 生木が燃えるわけ無いだろ、とジャスティンが言うと、レオンはきょとんとした顔でジャスティンの方を見返したのだった。
 結局2人して庭から出て薪を拾い集め――途中会った執事や侍女たちに何をしているのか尋ねられ返事に窮したが――日が落ちる頃には、十分な薪を用意できた。
 庭の真ん中に焚き火が作られた。
 レオンが慣れない手つきで干し肉を切り、火のそばにおいて焼き始めた。ジャスティンも、パンを枝に刺すと火にかざした。
 薪のはぜる音と、肉とパンの焼ける香ばしい匂いが二人を包み、はじめ気乗りのしなかったジャスティンも、やがてウキウキとした気持ちを抑えることができなくなった。
 夜になっても戻らなくて平気なのかと聞くと、峰雪がごまかしてくれているのだと答えが返ってきた。
 もっとも、後に聞いた話では、この日レオンと峰雪の2人は寝室にこもって出てこなかったという話になっていて、レオンは誤解を解くために奔走する羽目になったらしい。
 程よく肉とパンが焼けると、レオンが真っ先に手を伸ばした。ジャスティンも負けじと手を伸ばし、熱々に焼けた肉とパンをほおばった。パンは焼きすぎて半面が黒くこげ、肉には灰の味がした。だが、この日食べた味を、ジャスティンは生涯忘れないだろう。
 そうして食事が終わり、焚き火がやがて赤く光る熾きに変わると、二人は毛布を出して体をくるみ、夜中他愛も無い話をして過ごしたのだ。

 日の光がまぶたに差し、ジャスティンははっと目を開いた。
 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。焚き火はすでに消え、燃え残った炭が弱く赤く光っていた。
 ジャスティンは油断していた自分に内心舌打ちをした。蛮族たちが寝込みを襲ってこなかったのは、幸運としか言いようが無い。
 ジャスティンは、座ったまま寝込んでいたために痛む体を伸ばし、立ち上がった。視界の隅で、さっと人影が岩に隠れるのが見えた。ジャスティンは苦笑した。
 どうやら、寝込みを襲ってこなかったのは見逃されたからのようだ。あるいは、ジャスティンの力を目の当たりにしたため、慎重になっているのかもしれない。
 ジャスティンは小川で水を汲んで一気にあおると、杖を構えて歩き出した。つかず、離れず、蛮族の斥候がこちらを伺ってついてきているのが分かる。
 今日が決着だな、と、ジャスティンは淡々と思った。

 *

 どれぐらい歩いただろうか。日が高く昇り、昼近くなっても、蛮族は攻撃を仕掛けてこなかった。何を待っているのだろうと考えかけ、当然の答えに行き着いて苦笑した。
 彼らは、例の魔導師を待っているのだ。蛮族の男が5人がかりで――隠れていたのは6人だったが――襲い掛かって倒せなかった相手だ。彼らが、自分達を二度の勝利に導いた魔導師を頼るのは、当然と言えた。
 ジャスティンはうろうろと歩き回るうちに、岩山の峰へとたどり着いた。両側は切り立った崖になっており、見下ろすと、はるか眼下に乾いた谷底が見えた。
 と、ぴゅいーーーー! という口笛の音とともに、ジャスティンは近くに潜んでいた蛮族の気配が、すっと遠のくのを感じた。振り返ってみれば、ジャスティンが登ってきた斜面を人影が駆け下りていた。
 何事かと思った瞬間、ジャスティンは新たな気配を感じてぱっと正面へ目を戻した。
 新たな人影が、正面の岩の陰から姿を現した。粗末な衣服に、体に描かれた模様。右肩には、ぼろがまかれている。そして、左手には先端に黒い石がはめ込まれた杖。
 男が、ジャスティンを見、にやりと笑った。ジャスティンも、口元に笑みを浮かべて見返した。

 戦闘は互いの力の見せ合いから始まった。
 男が右手を振りかざし、ジャスティンに向けてさっと振った。
 普通の人間には、その動作はそれだけにしか見えなかっただろう。だが、ジャスティンの目には、男の手が〈揺らぎ〉に触れ、術式の光が文字のように舞い飛んだのがはっきりと見えた。
 光の一端が、ジャスティンの眼前の岩に触れる。次の瞬間、光の触れた場所を中心に岩の表面を文字が波のように走り、自身を構成する〈記憶〉を書き換えられた岩盤が槍に変化して伸びてきた。
 眉間を狙って突き出してきた槍を、完全に予想していたジャスティンは首の動作だけでかわした。ジャスティンは笑い、杖を構えると横なぎに振りぬいた。杖の軌跡を、自分と男にしか見えない光の文字列が走り、〈揺らぎ〉を叩く。それだけで重力塊が生まれると、男に向けて一直線に飛んだ。
 男が手を振り、槍を生み出して重力塊をはじく。男の顔が驚きに染まり、次いで楽しげな笑みに変わった。
 男が気合の叫びを上げ、杖を構えて走り出す。ジャスティンも杖を構え、口元に凶暴な笑みを浮かべて迎え撃った。

 それは、従来の魔法戦闘の常識から外れた、まさに天才同士の戦いだった。
 ジャスティンの杖が魔力を宿して突き込まれれば、地面から生えた槍がそれを弾き、一拍の間もおかずに次の槍が伸びれば、既に展開されていた斥力場がそれを弾く。足元の全方向から延びてくる槍を紙一重で完璧にかわしながら、ジャスティンは踊るように手を振り、重力塊を生み出しては男に叩きつける。男もまた、次々と槍を生み出しては重力の弾丸を叩き落していく。一呼吸の間に2発、3発と魔法が放たれ、互いの間でぶつかり合っては瞬時に緑色の光の粒子になって砕け散る。
 二人の周りには、光の粒子が舞い飛び、二人の体が突き抜けるたびに周囲へ飛び散った。
 だが、ジャスティンの方がこの戦いには分があった。男の槍を手のひらの斥力場で受け流し、ジャスティンが杖を振る。生み出された重力塊を避けようと男が槍を伸ばした瞬間、ジャスティンは呪文を唱え、槍の軌道に斥力場を作り出した。男の槍が斥力場に弾かれ、空を切る。止める物の無くなった重力塊が、あわててそらした男の頬をすり抜け、血しぶきを飛ばした。男がひるんだ。
 杖と呪文を同時に使い、二つの魔法を同時に使う。ジャスティンだからこそ出来る、常識破りの戦闘法だった。
 男が距離をとろうとするのを見逃さず、ジャスティンは重力塊を生み出すと、男へ向けて撃ち込んだ。
 一瞬、勝利の予感がジャスティンの脳裏をよぎったが、次の瞬間、男の眼前で重力塊が弾かれ、緑色の粒子となって吹き飛んだ。
 男が杖を構え、にやりと笑った。そして、今までとはうって変わった無防備な動作で、悠々とジャスティンへと歩み寄り始めた。
 その気配に気圧され、ジャスティンは後ろへと飛んで距離をとりながら、重力塊を生み出すと男へ向かって投げ放った。だがやはり、重力塊は男の眼前で、見えない壁にぶつかったように弾かれ、消えていった。
 これが噂の〈迎撃魔法〉か……笑みが濃くなった男の顔を見やり、ジャスティンは思った。なるほど、確かに厄介な能力だった。普通の兵士が手も足も出ずに倒されてしまっただけの事はある。
 だが、ジャスティンの内心にそれほどの焦りはなかった。彼の目には、重力塊が弾かれる寸前、男の持つ杖――その先についている黒い石から、魔力の光が伸び、男の前面に光の壁を作り出す様子がはっきりと見えたからだ。
「……その石か」
 おそらくは、黒曜石と思しき石だったが、ただの石で無いことは明らかだった。呪文が刻まれた呪石か、あるいは別の何かか。だが、なんであれ、あの石が〈迎撃魔法〉の源になっていることは間違いなかった。
 ロウェンの言葉が、ジャスティンの脳裏に響く。

 ――〈迎撃魔法〉に欠点があるとすれば、自動的に発動するという、その点ですね。
 人間なら、この攻撃は防いで、こっちの攻撃はよけて……という風に、瞬時に判断できます。しかし、自動的に迎撃する魔法にその判断をゆだねるのは危険です。迎撃するかしないか分からない状態になってしまっては、非常に使いづらいですから。

 ジャスティンは、杖を大きく振ると、連続して〈揺らぎ〉にぶつけていった。重力塊が次々と生まれ、ジャスティンの周りに滞空する。
 男はそれを見ても、平然とした歩みを変えようとはしない。

 ――おそらく、この〈迎撃魔法〉という物は強い攻撃でも弱い攻撃でも、とにかく発動するようにできているのではないでしょうか。

 ジャスティンは、さらに2度、3度、杖を振り、次々と重力塊を作りだす。意識が集中しきれなくなり、生み出した重力塊のいくつかが消えたが、気にしなかった。
 ロウェンはそこまでしか言わなかったが、ジャスティンは気づいたのだ。
 〈迎撃魔法〉の弱点に。

 男がさらに一歩踏み込んだ時、ジャスティンは杖を振り、重力塊を撃ち出した。いくつも浮かんだ重力の弾丸は、一斉に襲い掛かるのではなく、ひとつひとつ、時間差をつけて男へと向かっていった。
 黒い石から光が走り、一つ目の重力塊が弾かれる。その光の壁が消えると同時に、二発目の重力塊が男へ向かう。再度、光が走り、二つ目の重力塊が弾かれた。
 男の顔に、はっきりと“しまった”という色が浮かんだ。だが、その時には既に遅かった。
 三発、四発――五発、六発、七発と、連続して重力塊が撃ち込まれる。そのたびに、光が走り、〈迎撃魔法〉が発動した。十発目を数えた重力塊が〈迎撃魔法〉に撃ち落とされた時、男が舌打ちをして飛び下がった。ジャスティンは、その隙を見逃さなかった。
 杖を横薙ぎに振るい、重力塊を撃ち出す。それは今まで連続して撃ち込んでいた、手加減した“軽い”重力塊ではない。あたれば人間一人を軽々吹き飛ばす事ができる、本気の一撃だった。
 重力の弾丸が男の胸へと吸い込まれ――今度は、〈迎撃魔法〉に阻まれる事なく、男の胸に突き立った。肋骨の折れる音が響き、男の体が吹き飛んだ。
 ジャスティンは杖を構え、油断なく倒れた男へと近寄っていった。
 どのような動力源を使おうと、無限に魔力を供給できる動力源など存在しない。使い続ければ必ず魔力を使い果たし、使えなくなる。
 それを、どんな攻撃に対しても自動的に発動するという〈迎撃魔法〉の特徴と組み合わせれば、その特徴は致命的な弱点へと変わる。
 ジャスティンは、微弱な重力塊をいくつも作り出したのだ。一つ一つの威力などたかが知れている。せいぜい、拳骨で軽く殴ったぐらいの威力だろう。もちろん、ジャスティンへの負担もほとんど無い。
 だが、そのような攻撃に対しても、〈迎撃魔法〉は律儀に反応し、発動する。
 そうして攻撃を連続して受け続ければ、〈迎撃魔法〉はあっという間に魔力を使い尽くし、使えなくなるのだ。

 強力な一撃は防げても、弱いチマチマとした連続攻撃には脆い。
 それが〈迎撃魔法〉の弱点だった。

 ジャスティンは男のそばに立ち、杖の先端に魔力を集めて喉元へ突きつけた。
「杖を捨てろ」
 カルセドニアの言葉は蛮族に伝わらないだろうが、ニュアンスで意味は通じるだろう。果たして、男は苦々しげな表情をし、手首だけで杖を放った。杖は岩の間に落ち、乾いた音を立てた。
 この一瞬、ジャスティンに油断が生じた。
 投げられた杖の行く先を目で追った刹那、男が逆の手で〈揺らぎ〉を叩いた。
 気づいたジャスティンが身構えた時には遅かった。ジャスティンの足の下から黒鉄色の槍が伸びる。不完全な形で発動したせいで槍は尖った穂先も持たず、単なる棒状の塊に見えた。だが、不意の一撃にジャスティンは身体のバランスを崩した。
 手がすべり、杖が手から離れた。焦って伸ばした手が空を切り、指先が杖を弾いた。
 男が笑みを浮かべて身を起こし、手を横に薙いだ。今度こそ、鋭い穂先を持った黒鉄色の槍が伸び、ジャスティンのわき腹を貫いた。

 *

 不意に、ごとり、と音がして、レオンは顔を上げた。ぼんやりと見上げた視界に、ゆっくりと倒れる石像が映った。
 台座から落ちる、と思い、とっさにレオンは手を伸ばし石像を受け止めた。手を伸ばしていなければ、石像は床に落ちて粉々になっていただろう。
 レオンは礼拝堂にいた。
 一週間に一度の祈りの時間を、彼は一人、礼拝堂の床にひざまずいて過ごしていた。
 彼に与えられた15分の祈りの時間は、いまや彼にとって限られた休息の時間となっていた。
 毎日、日が昇る前から起きだし、日が沈んでも仕事をし続ける日々。休息を取れる時間など無く、食事すら、執務を行う部屋へと運ばせて仕事をしながら食べている。峰雪がいつも部屋で待ってくれていて、手当てなどをしてくれる間にぽつりぽつりと話すほかは、人と会話をする事もほとんど無い。
 仕事だけではない。それだけの苦労に関わらず、彼の周りには彼を批判する――いや、中傷する声ばかりが渦巻いていた。その一つ一つが彼の耳に伝わるように貴族たちは仕組み、その事もまた彼を追い詰めていた。
 レオンは疲れきっていた。峰雪もまた疲れきっていたが、それにすら気づけないほどに、今の彼は消耗していた。
 レオンは受け止めた石像をしげしげと見つめた。誰も手を触れていないのに、なぜ突然落ちそうになったのか。不思議に思うレオンは、その石像が〈賢者〉の像である事に気がついた。
 レオンの正面の台座には、3体の、女性をかたどった石像が並んでいる。
 〈救世者〉と、それに従う〈賢者〉と〈槍使い〉の像だ。幼い少女の姿をした〈救世者〉が中央で剣を掲げ、髪を結わえた〈賢者〉は杖を、波打つ髪を後ろへ流した〈槍使い〉は槍を、それぞれ胸に抱いている。〈救世者〉が大地を創り、〈賢者〉が魔法を、〈槍使い〉が生命を生み出す法を神々へ伝えたという。
 これら3人の女性は、現神信仰とはまた別に、人々からの信仰を集めている存在だった。
 特に〈賢者〉は、神々に魔法を伝えたと言われるだけあり、魔導師から厚い信仰を集めている。普段、信仰心など欠片も見せないジャスティンでさえ〈賢者〉の像に祈りをささげている姿を、一度ならずレオンは見たことがあった。
 ジャスティン、という名を思い浮かべ、レオンは心臓が跳ねるのを感じた。
 嫌な予感が身を貫き、レオンはしばし、石像を握りしめたまま立ち尽くした。

 *

 意識が遠のいていたのは一瞬の事だったらしい。
 かすむ目を開くと、視界の右半分に砂と岩だらけの地面が見えた。右半身を下にして倒れているらしい。起き上がろうと身を動かすと、湿った感触とともにわき腹に激痛が走った。
 じゃり、と砂を踏む足音に目を上げると、蛮族の魔導師がニヤリと笑みを浮かべて立っていた。男が何か言う。蛮族の言葉であるため何を言っているのかは分からなかったが、悔しいか、とか、そんなことを言っているように思われた。
(こいつが、俺の死か)
 悔しくないと言えば、嘘になる。レオンと峰雪を助ける事もできず、自分の役目さえ全うできないまま、遠い蛮族の地で死を迎えるのだ。自分の死の報告を聞いた2人は、どういう顔をするだろうか……
 2人の顔が浮かび、ジャスティンは歯を食いしばった。
(死ぬわけには、いかない……)
 わき腹から、血が流れ出しているのが分かる。この出血では、放っておくだけでジャスティンは死ぬだろう。男もそれが分かっているのか、止めを刺すそぶりは見せない。
 だが、それだけの出血であるにもかかわらず、親友である二人の面影が、ジャスティンの意識をつなぎとめていた。レオンの疲れきった顔が、涙に枯れる峰雪の声が脳裏に浮かび、ジャスティンの中にすさまじい炎を燃え上がらせた。傷の痛みすら感じなくなり、身体中が燃え上がるように熱くなった。
 ジャスティンは、いつかどこかで、その感情を感じた事がある、と思った。

 それは、あのレオンと初めて会った時に感じた、“生まれ”という壁に対する怒りと同じものだった。
 今、ジャスティンの中には、自分達をとりまき、押しつぶそうとする理不尽さ、その全てに対する怒りが渦巻いていた。

 男が眉をひそめる。ジャスティンの様子にただならぬものを感じたのだろう。だが、魔法を使う気配は無い。
 油断している。ジャスティンはそれを悟り、必死で思考を巡らせた。
 杖は無い。呪文を唱える余裕も無い。身振りだけでは強力な魔法も使えない。肉弾戦を挑もうにも、この怪我ではあっという間に槍にやられて終わりだろう。
 不意に、レオンの声が鮮やかによみがえってきた。

 ――呪文も言葉も身振りも、なにも使わずに魔法は使えるのかな?

 あの時、考えてもみなかった事を言われ、ジャスティンは目の覚めるような思いをしたものだ。

 ――呪文は道具の一つなんだろ? だとしたら、なにも使わずに魔法を使う事も出来るんじゃないかな。ほら、道具を使わなくても出来る事って結構あるだろ?

 レオンの言葉が、何度も何度も耳の奥にこだました。
 ジャスティンは、男と自分の間に漂っていた〈揺らぎ〉を見、その様子をしっかりと頭に刻み込むと、目を閉じた。男の声がしたが、ジャスティンの耳には、遠くから響く音のようにしか聞こえなかった。
(想像しろ……俺の意志が、魔法を生み出すところを)
 〈揺らぎ〉の様子をイメージする。そこに呪文を与え、望む形に世界を書き換える。いつもどうしている? どのように世界を書き換えている? イメージしろ、細部まで……!
 頭の中で、〈揺らぎ〉が形を変えていく。それが望む姿に変わったとき、ジャスティンは心の中で叫んだ。
(〈閃光〉……!)
 男の悲鳴が響き渡った。
 薄く目を開けると、男と自分の間に強烈な輝きが浮かんでいた。明かりを作り出す〈灯火〉と同じ系列の〈閃光〉の魔法だ。その名の通り、強烈な光を放つ。
 男が、顔を押さえて後ずさる。不意に眼前で光が炸裂したため、目をつぶされたのだ。
 ジャスティンは、死に物狂いで起き上がった。体中に湧き上がった力を声に変え、ジャスティンは雄たけびを上げながら男へとつかみかかった。
 よろめく男の体を捕らえ、ジャスティンは渾身の力を振り絞って男を投げ飛ばした。男はよろけ、断崖から足を踏み外した。空を裂くような絶叫を上げて、男は谷底へとまっさかさまに落ちていった。

 体中から力が抜け、ジャスティンはその場に崩れ落ちた。わき腹の痛みが一気に戻り、ジャスティンはうめいた。体が疲れきり、手足が鉛にでも変わったように重かったが、それでも服の内側から小瓶を取り出すと、中身を手に取り、わき腹の傷へかけた。
 傷を癒す魔法の薬の力で、少し痛みが和らぐ。ジャスティンはマントの裾に歯を立て、破り取ると、包帯代わりにして腹へと巻きつけた。
 それだけの事をやると、気力も体力も尽き果てて、ジャスティンは仰向けに寝転がった。
 どれぐらいそうしていたのか、日が傾きかけてきたのに気づき、ようやくジャスティンは身を起こした。薬のおかげで出血は止まり、痛みも身動きできるほどには和らいでいた。
 少しよろめきながら身を起こし、ジャスティンは歩き出した。岩の上に転がっていた自分の杖を拾い上げると、周囲に目をやり、やがて目的の物を見つけて歩み寄った。
 岩の間に、あの魔導師の杖が落ちていた。ジャスティンが手に取ると、杖の先にはめ込まれた黒い石がジャスティンの魔力を吸い取るのが感じられた。
 思ったほど強烈に吸い取るわけではない。実際、少し経つと魔力が吸われる感覚は無くなった。だが、ジャスティンには、その石の中にすさまじい魔力が蓄積されているのが感じられた。石が、ジャスティンから吸い取った魔力を呼び水にして、自ら魔力を〈ファンタズマゴーリア〉から汲み上げているのだ。
 ジャスティンは、この石の動力源を理解し、頷いた。ジャスティンたち魔導師は、自分の体内に蓄積されている魔力を呼び水にして、〈ファンタズマゴーリア〉から空間を超えて魔力を汲み上げている。だから魔導師は自分の体内の魔力量以上の、大量の魔力を扱って魔法を使う事ができる。
 古代から伝わる機械の中には、魔導師と同じように自力で魔力を汲み上げる力を持つ物もある。この石がやっているのは、それと同じ事だった。
 もっとも、普通そのような機械は巨大で複雑になるのが常だ。魔法都市レスティナの動力中枢である〈レスティーアの心臓〉など、縦、横、奥行き全てが数十トルメはあろうかというほどだ。このような石が、迎撃魔法を使うだけでなく魔力の汲み上げまで行うなど、にわかには信じられなかった。
 しかし、その石の底知れぬ色合いは、それが極めて古い来歴を持つものである事をジャスティンに伝えていた――ジャスティンは知るよしも無かったが、それははるか古の時代、神々の戦争である創世戦争の折に邪神たちが作り出した呪具の一つだった。

 ジャスティンは、杖を握り締めた。一つの考えが頭に浮かんだ。
 この杖の力は、すでにあの蛮族の魔導師が証明している。この杖と〈迎撃魔法〉をジャスティンが手にすれば、それは必ず、ジャスティンの力になるだろう。そしてそれは、レオンを助ける力になる。
 刹那、ジャスティンはその杖を密かに持ち帰り、自分の物にしようかと迷った。
 だが、すぐにジャスティンの顔に快活な笑みが浮かぶと、彼はなんの躊躇いも無く、杖を崖の下に向けて放り捨てた。杖は放物線を描き、やがて見えなくなった。
 いかに自分達の役に立とうとも、あの杖の力を借りて成せるのは、力と恐怖による支配だけだ。
 それはジャスティンが望むものではなかったし、レオンもまた望んでいないと、ジャスティンは信じていた。
 ジャスティンは杖の落ちていった崖下に背を向け、日があるうちに馬のところへ戻ろうと、駆け足で山を下りていった。


  

Copyright (C) 2023 Ohisama Craft All right reserved.